INTERVIEW
ANRIを支えてきたミュージシャンへのインタビュー、第二回は、ANRIのアルバムのプロデュースやステージのバンマスとしてもお馴染みの、キーボードの小倉泰治さんです。作詞・作曲も含めて、セルフプロデュースも積極的にチャレンジしてきたANRIの姿を、いちばん近くで見てきた人として、いろいろお話を伺いました。(ライター・小野 緑)
─小倉さんはいつぐらいからANRIさんのお仕事をしているのでしょうか?
小倉ANRIとは30年前ぐらいになりますかね。僕はもともと、ANRIを当時プロデュースしてた角松敏生さんと知り合いだったんです。彼のバンドにいたベーシストと一緒にバンドをやったりしたこともあって、彼に角松さんを紹介してもらって。小さいライブを一緒にやったりしていました。そんなとき角松さんがANRIのアルバムをプロデュースすることになって、一緒にコーラスアレンジなどをお手伝いしたのがきっかけですね。それと並行して、ANRIのライブもちょくちょくやらせてもらうようになったんです。その頃はちょうど「キャッツアイ」とか「悲しみがとまらない」がヒットしていたときで、よく『ザ・ベストテン』などに出ていた頃ですね。当時は、まだダンサーも入れないで、フォーリズム+コーラスぐらいの小さな編成でやってました。学園祭ですごく人気があった頃です。それからずっと……途中ちょっと抜けたりしたこともありましたが、ずっと長くやらせてもらっています。
─やはり印象に残ってる時期というのは80年代ですか?
小倉そうですね。みんな若かったし、まだコンピュータとかデータとかを使わないでやっていた時代ですよね。まあ、その当時は、仕事っていうより、楽しいライブを一緒に作っていたという感じが強いです。
最初にアルバム全体をまかせてもらったのが、LAで作った『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』のときです。そのときに全曲アレンジというか、サウンドプロデュースという形で関わってくれという話がありまして、それから大きく関わるようになったのかな。ロスで現地のミュージシャンを使って作ったアルバムなんですが、全面的にミュージシャンのチョイスまで任せてもらいました。僕自身も初めてでしたよね、向こうのミュージシャンを使うっていうのは。
─あのアルバムは、参加してるミュージシャンもそうそうたるメンバーですよね。その中でプロジェクトを引っ張っていくのは大変だったのでは?
小倉そうですね。プレッシャーはすごかったです(笑)。向こうのミューシャンたちは、そうとう有名な人達ばっかりだったし。でも、こうなったら、自分が知ってる限りのいいミュージシャンを使おうって腹をくくりました。
─向こうのレコーディングの現場と日本との違いってありましたか?
小倉スタジオの雰囲気とか、人間もそうなんですけど、みんな仕事っていうより、楽しく現場を作ろうという感じが強かったです。自分がLAに行く前に思っていたよりも、スムーズに事が進んだし楽しかったですね。日本は時間がカチカチに決められていて、時間に追われる感じで作ることが多いんですが、そういう窮屈さが全くないんです。細かい譜面の部分に関しての直しなんかも、いいものを作ろうっていう雰囲気があって、ピリピリせず、とってもやりやすかったですね。イメージ通りというか、イメージ以上にみんなが楽曲を膨らましてくれた気がします。
─当時ANRIさんがやっていたものは、日本で前例のない、いちばん新しいものを模索しつつ、日本の音楽を牽引してたというイメージがあるのですが、そういうものを作っているんだという意識はありましたか?
小倉そういう使命感みたいなものはあまりなかったです。もともと僕は職業アレンジャーという人間ではないので、自分の個性を出したり、そっちの方に重点を置いていたんですよ。みんなとの共同作業というところに重点をおいて、新しいもの、他の人がやっていないものを作ろうっていう意識はありましたね。だから、新しい本場のサウンドを意識して、歌謡曲みたいな流れにはしたくないなっていう気持ちは強かったと思います。ANRIも、もともと洋楽志向なので、洋楽のサウンドに日本の詞がどう乗るか、みたいなところはいつも模索していました。
─アメリカの一流ダンサーを入れたステージングのアイデアはANRIさんの方から出たものだったんですか?
小倉もちろん! 僕は彼女がやりたいことを実現しつつ、自分なりに膨らましていくっていう形でずっと関わってきたと思います。
─ANRIさんはどこからそういうイメージやアイデアをキャッチしていたんでしょう?
小倉いろいろ影響は受けていると思いますけど、特にウエストコーストの影響は強いですね。僕が思うに、やっぱりディスコ世代なので、イメージとしてはディスコで踊ったり、最新の音楽に触れていた経験が大きかったんじゃないかと思います。それで、踊れる音楽、ダンサブルなものをやりたかったんじゃないかと。彼女自身がもともと踊るのは好きだし、そんなにハードルが高いとは、僕も思わなかったですね。自然に踊ってたって感じです。
─今でこそ、ダンスのレッスンが当たり前になってるし、そういう学校もたくさんありますけど、当時はなかったですよね。
小倉そうですね。そこは、自分で積極的に勉強していましたよね。最初からアメリカのダンサーを使ってスタートしたので、後ろにダンサーを従えて踊るっていのは、向こうのスタイルから学んだんじゃないかな。あとは、個人的な付き合いの仲から、ダンスの人たちとつながっていったんじゃないですかね。ジャネット・ジャクソンとも親しくしてましたし。
─あの頃のステージは本当にすごかったですね。曲も自分で作って、歌って、踊って……ステージに立っているだけでもオーラがすごかった。
小倉最初に僕が会ったのは、角松の手伝いでスタジオに行ったときで、フラッと彼女が現れてたんですね。その頃もう既に「キャツアイ」がヒットしてたので、すごくピカピカし輝いていて、スゴイなって思ったのを覚えてます。すごく魅力的な女性だと思いましたね。で、その後、仕事を通して付き合っていくと、とても神経が細やかで、気持ちがすごく優しいし、周りに気を使うしね。その反面、自分の芯はめちゃくちゃ強いので、絶対に譲らないものを持っている。そのへんのセルフプロデュースの力は、昔から持ち続けてると思います。それがまだ続いているで、今でも輝いているんじゃないかな。いろいろな意味で、とても強い女性だと思いますね。
─レコーディングでも、ANRIさんから細かい指示やリクエストなんかががあるのですか?
小倉いや、最初の頃は結構任せてくれていました。僕が向こうのミュージシャンを選んだり、向こうのコーディネイターが選んだりして、それを一緒にやるようになってから、彼女自身も向こうのミュージシャンの特色とか、いい部分がどんどんわかってきたんでしょう。だんだん、こんなミュージシャンを使いたいとか、この曲をこうしたいいとか細かいところをどんどん注文することが多くなってきたような気がします。途中でコンピュータを自分で使うようになってきたので、それからは目に見えて成長した気がしますね。
そのへんの感覚や、吸収力はすごいですよ。いずれにしても、一番最初に方向性が合わないと、ちゃんと違うって言ってくれるので、それはとてもやりやすいですけどね。そういう意味では、アーティストとして常に成長してますね。今でも貪欲だと思うし。自分でこうしたいというのをしっかりもっていて言えるという部分は、とても尊敬しています。
─小倉さんは、ステージでもバンマスとして一緒にやっていますが、ステージのANRIさんはいかがですか?
小倉性格と同じで、ダイナミックなイメージと、細かい部分が同居したところが、そのままステージにも出ていると思います。明るさだったりエネルギーだったりを、素直に出せるステージングだと思います。あとツアーをやるたびにアレンジを変えたりして、常に新鮮にしておきたいっていう感じが、特にダンサーを入れたステージのときはありましたね。今でも、そのへんは常に意識しているんじゃないかと思います。
─あの頃から比べて今はレコーディングでも、コンピュータを使って簡単に音が作れてしまう時代になりました。だからこそあの頃ならではの音が、当時のアルバムには散りばめられていますね。
小倉そうですね。僕なんかも、一時そういう機械を使ってやってましたけど、実際は昔の方が楽曲にしっくりと合ってたりすることも多いです。でも、今は録音技術も変わっちゃって、なかなかああいう音にはならない。ANRIにはあの頃のやり方が、すごく合ってたなって思いますね。アナログのテープで録って、大きなスタジオにミュージシャンが一緒に集まって録音する……みたいな。そこでいいエネルギーが生まれていた。ANRIのキャラクターにも、そういうのが合っていたし、やっぱりその方が、エネルギーが2倍3倍になって、楽曲がよくなっていくんですよ。本人も、今またそういうのがやりたいみたいな感じがあるので、もしかしたら、そういうレコーディグがよみがえるかなと、これからちょっと楽しみなんですけど。
─音楽業界もまたそこに戻っている感じがありますよね。
小倉そうですね。ジャンルも分化されているので、機械は機械で、生は生で……みたいな傾向があります。
─これまで長くやっていて、大変だったことってありますか?
小倉まあ、曲が上がってくるのがギリギリで苦労したぐらいかな(笑)。まあ、逆にそうやって短期間に詰め込むのも、作り方としては有りだったんですけど、電話のやりとりでやらなければならなかった時代は大変でした。あの頃はまだメールとかネットで送るっていうのがなかったので、電話でやりとりしなきゃならなかった。それは結構大変でした(笑)。ただ、その分その頃はANRIが積極的に僕の家に来て、一緒にデモテープ作ったりしていたので、そういうのは楽しかったですね。今は実際に会わなくても作れちゃうでしょう。やっぱり会ってワイワイしながらやると楽しいし、そこからまた生まれるものがある。顔見て作ると絶対に違うと、僕は思いますね。楽しい事の方では、海外での仕事が多かったんで、いろいろ経験させてもって、それはよかったですね。
─海外ならではのエピソードってありますか?
小倉オーストラリアの牧場でプリプロを何日もやって、それからロスに行って、ニューヨークに行ってなんてことを何日もやったことがありました。オーストラリアでは、牧場の中で僕とマニピュレーターとその牧場主のエンジニアと3人で作業したんですよ。あれは、すごくのんびりした贅沢なプリプロでしたね。『MOANA LANI』のレコーディングときも、ハワイのカハラにレコーディングのための別荘を1軒借りて、みんなで集まってやりましたしね。
─当時は、レコーディングの現場に、これからできるアルバムの空気が既に漂っていましたよね。
小倉確かにそういう感じでした。楽しかったですよね。寝ないでやったこととか何度もありましたけど、今思うと、苦しかったことより、そういう楽しいことしか思い出せないですよね。
ただ、音楽的なことを言うと、日本語の詞とアメリカの洋楽との接点がなかなか見つからない時代でした。今はもう日本語と英語の垣根はなくなってきてるけど、その頃はまだ模索していて、グルーブ感と詞の一体感がなかなかできなかったので苦労しました。まあ、そこがまた面白かったわけなんですけど。ANRIの曲はメロディがきれいなんだけど、あの頃は、そこに歌詞まで馴染んでしまってはいけないと、僕は思っていたんですよ。洋楽と同じになってはいけないと思っていた。その接点がわからなくて苦しみました。落とし所がわからなかったのかな。
─でも、あえて日本語のはっきりした歌詞があるという点では、それがまたよかったんじゃないですか?
小倉そうですね。詞がちゃんとわかるって意味で。歌い方もそういう時代でしたしね。今のANRIの音楽も、あの頃のものがベースにあってのものだと思っています。
─ANRIさんはハワイで何度もコンサートをやってますね。ハワイでのコンサートはどうでしたか?
小倉ANRIに合ってる気がしましたね。ワイキキシェルっていう野外ステージでやったんですけど、それがいちばん僕は印象に残ってますね。ABCアリーナでもやっていますけど、アリーナだと、やっぱり日本より薄暗い感じで。ハワイっていう感じがあんまりなかった。
第1回は、確かカラパナとジョイントしてやったんですけど、それが楽しかったですね。ハワイのバリバリのバンドと一緒にやったわけですから。カラパナのベーシストの佐野健二さんとは今も一緒に仕事していますよ。あれは楽しかったですね。その回とワイキキシェルが、僕の中では印象が強いです。
─ハワイでやるたびに現地のお客さんがどんどん増えていきましたね。ANRIさんも、必ず現地のラジオのゲストに出て、頑張っていました。
小倉そうですね。頑張ってましたよね。会を重ねるたびに、前の方の席に現地のファンが増えていって、ANRIも英語でちゃんとMCしてたし。当時、ああいうコンサートを海外でできるアーティストはいなかった。僕らにとっても、むちゃくちゃ特別な機会でしたね。もちろん、大変なこともいろいろありました。機材なんかは普段と同じ感覚では全然できなかったし、楽器もちゃんと揃わないし。現地のスタッフもゆるゆるだったりして、時間もルーズだし。当時はいろいろ苦労しました。今は違うと思いますけどね。きっちりやろうと思う人はきっとイライラすると思う。でも、僕なんかは、まあ、そんな中でなんとかやればいいやって考える方なんで、大丈夫でしたけど(笑)。
─小倉さんが関わったアルバムの中で、特に好きな作品ってありますか?
小倉僕の中では『1/2&1/2』ですかね。日本でもいろいろ準備していったし、いちばんやりたかったことができたかなと。自分の中ではいちばん充実感がありましたね。あとは『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』。最初にLAのイメージそのままでやらせてもらって、たくさんの人に聞いてもらったアルバムですから。それと、意外と好きなのが『MOANA LANI』ですかね。あのときは、前作、前前作から関わってきたミュージシャンを日本に呼んで、しかも2チーム呼んでやったんです。Aチーム、Bチームに分けて。半分はこのリズムセクションで、あと半分はこっちのリズムセクションでやろうみたいな。すごく贅沢なレコーディングでした。ミュージシャン達もみんな、レコーディングのときも短パンですごくリラックスしてて、その雰囲気がとってもよくてね。とても楽しいレコーディングでした。
あの頃一緒に仕事したドラマーのジョン・ロビンソンとかマイケル・トンプソンなんかは、未だにANRIも付き合いが続いてますよ。今は日本で作った音を向こうに送って、彼らにダビングしてもらうという方法でやれる時代になったので、またこれからも、いろいろ一緒にできると思いますけど。
─そういう意味では、また大きなツアーをやってほしいですね。
小倉そうですよね、またやりたいですよね。本人もすごく今前向きに頑張っていますよ。今だからこそまたシンプルに音学に向き合ってる気がします。
─去年やったアルバムのように、新しい世代とのコラボレーションもいいですよね。
小倉そうですね。僕もそう思いました。ANRIはANRIで変わらずあのままでいてほしいけど、自分の中でできるチャレンジはどんどんやり続けていけば素敵かなと思います。僕としては、ジャズっぽいもの……本格的なジャズじゃなくて、カーリー・サイモンがやっていたような、ジャズバラードみたいなものをやってみたらどうかなって。白人のアーティストがジャズを歌ってるような感じのものを何曲かライブでやったら楽しいんじゃないかと思うんです。彼女ならもっと歌で可能性を広げられますから。あとは、日本の歌で、ホントの意味で、これ歌いたいなっていうものを、彼女なりのボーカルで歌うのも聞きたいかな。彼女のキャラクターはとにかく素晴らしいし、声が素晴らしいので、ANRI風を自分から発信するぐらいの気持ちで、人の曲を新しいアレンジでやったら素敵だと思います。
─それはいいですね! 既にANRIの世界観はきっちりあるので、何を歌ってもANRIの歌になると思います。ANRIの歌声は日本の宝ですからね。もともっと磨いてまた違う輝きを出せるといいなと思います。
小倉あとは、あまり細かいことは考えずに、これからもシンプルに音楽ライフを楽しんでほしいと思います。