INTERVIEW
あの時代があったから今のANRIがいる
今年でデビュー39年目を迎えるANRI。ずっと変わらずに、日本を代表する歌姫として走り続けてきた今だからこそある輝きが、ここ数年増してきたようです。そんな彼女を、80年代から支えてきた素敵なミュージシャンの方々に話を聞きました。第一回はギターの高山一也さん。今では当たり前になっているダンスパフォーマンスの原点は、ANRIだったことなど、知る人ぞ知る偉大なヒストリーに、ますます彼女から目が離せなくなりますよ。(ライター・小野 緑)
─高山さんが、ANRIさんと一緒にお仕事をするようになって、どのくらいになるのですか?
高山1985年あたりにちょうどANRIが独立してコロニーサーフを立ち上げて、セルフ・プロデュースするようになりましたよね。ちょうど僕はそのへんからなんですよ。
─アメリカの一流ミュージシャン達をレコーディングで起用し、本場のダンサーを使ったステージをやり始めた頃ですね。
高山そうです、そうです! アメリカのダンサーを日本に連れてきて、しかも自分も一緒に踊るっていうステージは、日本じゃまだ誰もやっていなかった。それを初めてやったのがANRIですからね。僕は、ANRIの仕事もやりつつ、他の仕事もいっぱいやってきてますが、ANRIというと「オリビアを聴きながら」とか、「ALL OF YOU」みたいな、すごく邦楽らしいニューミュージック、しかもどちらかと言うとバラードのイメージを持ってる人が多いんですよ。それはやっぱりヒット曲にそういうのが多かったせいなんでしょうが、僕のイメージは全然違うんです。とにかくダンス・ミュージック。もともと彼女自身もディスコで踊るのが大好きで、ダンス・ミュージックが大好きだった人なんですね。だから、アルバム『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』(’88年)の中の曲なんかは、アップなダンサブルなナンバーがすごく多いし。そういう意味で、バラードだけじゃないんだけどなあ、という気持ちが僕の中にはありますね。
─コンサートを見ている人と、テレビでしか知らない人とのギャップかもしれないですね?
高山そうでしょうね。今でこそ、ステージにダンサーを使ったり、自分でも踊るアーティストは当たり前にいますが、当時はANRIしかやっていなかった……というか、できなかった。あの迫力はすごかったですからね。だんだんエスカレートしてきて、ステージ上のダンサーが15人ぐらいになって、しかもジャネット・ジャクソンのステージ・ダンサーがそのまま参加したこともあった。世界レベルのブレイクダンスですよ。テリーっていうジャネットのコレオグラファー(振付師)が来て、PAも外人になり、僕と何人か以外は、ステージの上が全てアメリカ人になったことがあったんですよ(笑)。日本のダンスステージのライブの先駆者がANRIだったのは間違いないです。
─『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』『CIRCUIT of RAINBOW』(’89年)『MIND CRUISIN’』(’90年)『NEUTRAL』(’91年)『MOANA LANI』(’92年)といったアルバムに、当時の勢いが詰まっていますよね。
高山あの頃のアルバムは、今聞いても、めちゃめちゃいいですよ! 最近CDが売れなくなったって言われてますよね。アイポッドになったからとか、スマホになったからCDを持ち歩かなくなったとか。ま、それも一つの理由でしょうが、僕は思うんです。料理で言えば、これはエビ、カニ、フォアグラとトリュフが入ってるから高い、こっちは豚肉ともやしの炒め物だから安いていう、値段の付け方があると思うんですよね、当たり前の。でも、CDってみんな同じ値段です。だけど、聴くとやっぱり、これはいい材料が使って丁寧に作っている、こっちは自宅で簡単に作ってるという、その差がわかっちゃうんだと思うんですよ、普通の人にも。デジタルになって、今は自宅でも簡単にレコーディングができるようになって、昔一世を風靡した大きいレコーディングスタジオが、日本でもなくなってきてるでしょう? 一口坂スタジオもソニーの信濃町スタジオもないし。驚きますよね。
─確かに! スタジオがなくなるとは思っていませんでした。
高山なくなるなんて、考えられなかったですよ。スタジオ使用料だけでも1時間5万だったから、1日40万、50万ってかかる。その緊張感の中で、一流のミュージシャンが、みんなその一瞬一瞬に気迫を込めていいプレーをしようって頑張る……そういう時代でしたね。
─お金をかければいいっていうものではないと思いますが、そこから生まれる気持ちとか想い、気迫は音に宿りますからね。
高山このアルバムは制作費がいくらですなんてどこにも書いてないし、今は機材が優秀だから、その差はあまりわからないと思ってるんでしょうが、やっぱりその差がお客さんはわかってるんじゃないかって気がするんです。それで、CDって面白くなくなったなとか、なんかワクワク感とかドキドキ感がなくなったなって感じてしまう。料理は見た目でわかる部分があるけど、音楽は見た目ではわからないじゃないですか。でも違うんですよ。そこに、音楽の著作物が売れなくなった理由があるんじゃないかなって思います。
─音楽は、メロディや歌詞だけの話じゃないですからね。
高山そうなんですよ。人にはみんなそれをキャッチする感性、能力があるんですよ。お客さんを馬鹿にしちゃ絶対にダメなんです。今、写真でも何でも修正できるじゃないですか、きれいに。音も機械で代用できたり、歌を直したりもできる。昔はそういう技術はなかったから、演奏もうまくなきゃダメだったし、歌も直せなかった。美空ひばりさんは、レコーディングで2回しか歌わないっていう有名な話がありますよね。2回歌えば完璧なものが作れたってことでしょ? 僕は、今でもそれをやろうと思えばできると思うんです。絶対直しはやりませんって。実際、そういうやり方の人もいるし。そういうやり方で、充分に魂がこもったものが出来上がっていけば、そういうものが増えていけば、また著作物も売れるようになっていくと思います。ANRIは、そういう時代を先頭を切ってやってきたから、今でもそこは誰よりも心を込めて作っている。それができるのも、そういう時代を知っているからなんです。
─CDでも何でも、手作りの良さは、完璧に計算できない空気感や隙間みたいなところにあると思うんです。だから、ライブにはCDにない魅力がいっぱいあって、そこを今でもやり続けているところに、ANRIさんの凄さと、これからの可能性があるなって思いますね。
高山まさにそうですね。また『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』の話になっちゃうんですけど(笑)、このアルバムはANRIのセルフ・プロデュースなんですね。だから予算の管理もしなきゃならないし、全てに責任がある。だからとにかく気合が違うんですよ。また、アメリカのミュージシャンって、最初に必ず、今回ボスは誰か? って聞くんです。ボスにものすごくアピールするわけ。で、今回のボスは杏里だから、これはアピールしとかなきゃイカンと思うわけですね。そういう「俺を聞いてくれ、俺のプレーはこんなにイカしてるんだぜ」っていう、ほとばしるような、ものすごいオーラが出まくってるんですよ。例えば、ポール・ジャクソン・ジュニアっていうギタリストだって、有名なアルバムのしごとをいっぱいやってるにもかかわらず、「そうだ!」って感じで気合がこもったプレイをしてる。そういうプレイのみずみずしさっていうか、エネルギーがスゴイですよね。このへんを是非聞いてもらいたいです。日本のダンスエンターテイメントのパイオニアっていう存在感がCD全体にみなぎっているアルバムですから。
─しかも、この頃のアルバムは、アメリカでも勝負できる完成度でありながら、日本のアルバムとしてしっかり作られているのが素晴らしいですね。
高山そうなんですよ。今の時代は、完全なネイティブ・イングリッシュと日本語と両方を話せる歌手が増えてる。だから、あまり邦楽、洋楽とかって区別をしなくなりましたよね。昔は完全に洋楽と邦楽が別れていて、1970年代80年代前半っていったら、日本は完全にアメリカの真似をしてました。ひとつ何かが流行ると、オリコンのトップから10位まで、全部同じような音になってた(笑)。アレンジも同じ……みたいな。そこに、ANRIが最先端の洋楽を取り入れたものを作り、その影響でだんだん周りもそうなっていくと、外国をそんなに追っかけなくなっていきました。そのへんの日本人のプライドみたいなものが、ANRIミュージックはちゃんとあって、当時のアメリカの名プロデューサー、クインシー・ジョーンズが使うレベルのミュージシャンを使ったサウンドでありながら、ANRIはきれいな日本語で歌ってるわけですよ。吉元由美さんの、日本人らしい詞の世界がちゃんとある。だから、聞いた人たちは、ANRIの歌声の中から話のストーリーもわかって、それと同時にクインシー・ジョーンズのバンドの演奏が聞ける、というものすごく贅沢な世界があるんですよ。洋楽チックな歌ではなく、はっきり日本語の歌詞があって、サウンドに洋楽のエキスが入ってるっていう、ハイブリッドみたいなところがよかったんじゃないかと思います。これは今でもかわらないと思います。サウンドだけでなく、歌としてきちんと心に伝わるのがANRIの魅力じゃないかな。今は、それがもっと研ぎ澄まされて熟成されていますね。その原点として、あの時代があったのかなと思います。
─このへんのアルバムのコンセプトや、ダンサーを使ったステージのアイデアは、誰が提案したのでしょうか?
高山おそらくANRI本人じゃないかと思いますよ。当時のフォーライフレコードのプロデューサーとANRIで考えたんだと思います。アルバムタイトルになってる「BOOGIE WOOGIE MAINLAND」の歌には、憧れのメインランド(アメリカ本土)っていう歌詞があって、そういう思いとかテンションと気迫があのアルバムには込められてるんです。腹のくくり方が違うというか。そういう根性があって、どんどん成長していって、今のANRIがあるような気がしますね。
─当時のアメリカのダンサー達が、ツアー慣れして時間にルーズになってきたとき、リハでANRIさん本人が、ステージにダンサーを全員集めて、びしっと注意したという話を聞いたことがあります。自分が先頭に立って、みんなを引っ張っていかなきゃという意識があったんでしょうね。
高山そういうしっかりした部分は素晴らしいです。どんどんチャレンジするし、自分で歌いながら踊るし、すごく難しいことをやってるのがわかってるから、自分も気を抜いちゃいけないって思っていました。それでいて、打ち上げではみんなと朝まで飲んで盛り上がる。で、ツアーが終わると、すぐにまたレこーディングでしょ。いつもテンションマックスで突っ走ってましたね。だから、あれだけ引っ張っていけたんじゃないかと思います。あのテンションを経験しているからこそ、今、歌姫としてレジェンドになっているんだと思います。
─ツアーで、特に思い出に残っていることってありますか?
高山たくさんあるんですが……昔、すっごく山奥で野外コンサートをやったことがあるんです。電車の駅を降りてから車で3時間走るようなとこで。その当時は、すごく大きいシステムをステージで使っていたんですね。それを車に積み込んで山奥まで行ったんですが、そのシステムのケーブルが現地で切れちゃった。動かないんです。楽器屋なんてもちろん近くにないし、町まで行って戻ってくる時間もないよってことで、真っ青ですよ。ギターもこれじゃ音でないし、ギター無しでやるか? みたいな。人生最大のピンチでした。そしたら、当時コンピューターを操作するマニピュレーターで参加していた常見和秀さんが、機械を全部ばらしてケーブルの切れているところを探してくれて、コンサート開演ギリギリで直ったんです。2時間ぐらいかかってメンテナンスしちゃったんです。もう、「常ちゃんありがとう!」って。そういうことがあると、またステージがよくなっていくんですね。ピンチもあるけど、それを抜けた後に、素晴らしい一体感が生まれて、それが音に出るからいいステージになる。そういうコンサートの後で、みんなでの飲むのがまたいいんですよ。彼は今、EXILEなんかにに欠かせない、日本一のマニピュレーターになってますけど、この間電話したら「今の僕があるのもANRIさんの仕事のおかげですって」って言ってました。そういう、今の日本の音楽業界に欠かせないスタッフを、ANRIはいっぱい育ててきていると思いますよ。本人はあまり言いませんけど。
─そういうこと全て含めて、高山さんが、今だからこそ改めて聞いて欲しいANRIのアルバムベスト3を挙げてください。
高山やっぱり間違いなく1位は『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』ですね。あと『MOANA LANI』もいいいし、あとは『CIRCUIT of RAINBOW』ですかね。で、もう1枚追加して『1/2&1/2』かな。僕らは普通、仕事で関わったCDは、仕事として聴くんですけど、ANRIのアルバムに関しては、本当に大好きで、楽しんで聴いてましたね。ファンと一緒です(笑)。今でもそうですけど。
─今、CDの聞き方も変わってきてますよね。入り込んで何回も聴くというより、聞き流す感じが多い。生活の中の音楽の占める位置が、昔より低くなってきてる気がしませんか?
高山そうなんです! 車で聴くっていうのも無くなったらしいし。我々の時代って、好きな女の子を口説くために頑張って高い車買って、カーステに自分でいろんな曲をチョイスして入れて、それをかけてドライブするのがデートの定番でしたよね。このへんを走るときはこの曲とか考えてね。車の中は一つのリスニングルームだったんですけど、今の若者は車に興味がないし、免許取らないから。そういうところも、音楽が日常生活からなくなってる理由かなって思います。
─でも、ライブは違う。そこにまだ可能性がありますよ。
高山そうそう。コンサートには、その場に行かなければ手に入らない感動があるし、それは今も変わらない。
─ミュージシャンがステージに立っている限り、その歌は、昔のものであっても、今の時代の歌として色褪せずに輝き続けるんだと思います。ANRIさんの歌が、今でもみんなに広く支持されているのは、彼女が常に今の目線でチャレンジし続けているからじゃないでしょうか。
高山僕もそう思います。だからこそ、もし聴いてない人がいたら、『BOOGIE WOOGIE MAINLAND』や『CIRCUIT of RAINBOW』を是非聴いてみてほしいんです。今聞くと、ほんとに違うと思うんです。今売れてるバンドサウンドって、打ち込みが多いですけど、あの当時の本当にいい演奏っていうのは、打ち込みぐらいの精度で、プレイヤーが演奏してる上に、気迫が違う。当時僕は、世の中に出ている全てのアルバムの中で、このアルバムが一番いいって、本当に思ってましたからね(笑)。そういう作品を聴いて、だから今のANRIがあって、これからもっと上を目指せるんだっていうことを知ってほしいんです。
─そのへんをじっくり聴くと、またCD離れした人たちが、戻ってくるかもしれませんね。
高山僕は普段からファンの目線に近いんですね。自分も楽しんで、ステージに立ってましたから。ANRIはできるだけ現場の空気をスタッフに体験させてあげたいって思うのか、ロスにも全員連れて行き、それこそジャンネット・ジャクソンとかシーラEとか、いろんな人に会わせてもらったり、話を聞いたりしました。僕は全く英語が話せなかったんですけど、PAまでがアメリカ人のときは、話さないわけにいかないじゃないですか。そうやって、自然とコミュニケーションがとれるようになっていきましたよね。当時から人をどんどん巻き込んでいく竜巻のような人ですけど、だからこそ未だに新しいものを生み出していく原動力を持っているんじゃないかと思いますね。
─これからのANRIさんに期待することはありますか?
高山これからまだいろいろなことができると思いますよ。歌なんか、どんどんよくなってきてるし、何よりも説得力が違う。そして、実は歌姫というだけでなく、プロデューサー的なサウンド志向のアイデアの引き出しを、たくさん持っている人なんだっていうことが、僕の話からみなさんに伝わるといいなと思います。